TWIN

クローン人間

 ぼくの兄はクローン人間だ。
「ラナンキュラスが咲いたんだよ」
 そして、園芸好きでもある。
「ずいぶん季節外れだな」
「そうでもないよ。まだ、温かいし」
 遺伝学者だった父の蛮行は多方面から非難を受け、学界からは排斥された。論文も公表されず仕舞いだ。
「仕事、大変なんだよね。ごめん。こんなことで呼び止めて」
 兄は、いつも遠慮がちである。
「別にいいよ」
 都内にしては広い庭の手入れを兄は一手に引き受けていた。
 その経験から出版した本も何冊かあり、クローン人間のガーデニング指南書として親しまれている。月に数通はファンレターの絶えない隠れたベストセラーである。
「それに、今やってる論文は仕上がらない気がするんだ」
「そんな」
 ぼくは、『オリジナルの方』と呼ばれてきた。
「絶対に大丈夫だよ。きみは、父さん譲りの天才だもの」
 世界でも現存しているクローン人間は兄さんだけだ。少なくとも公表されているのは彼一人である。
「そうかな?」
「そうだよ!」
「うん、たぶん」
 ぼくは父の後を継いで遺伝学者になった。
「そうなんだよな」
 先日、父が倒れ金庫を開くことになったぼくは、ある事実に突き当たる。
 証券や特許の書類とともに入っていた父の論文は、立ち会った弁護士と兄にとって理解の外であった。
「ぼくは父さんの子供だ。それは間違いない」
 兄ではなく、ぼくの方がクローン人間だったのだ。父はなぜこんな欺瞞を行ったのだろうか。
「え?」
 理由は分からなくもなかった。論文の完成度を高めるために社会適合したクローン人間のデータが必要だったのである。
 己の名誉欲のためなら実子を犠牲にするのも厭わない。下衆だとは思うが、気質を受け継いでいるぼくには飲み込める話だ。
「なんでもない」
 現在、兄には暫定的な戸籍と人権が付与されているため彼の同意なしに身体検査はできない。
 真相は兄が死ぬまで隠蔽されるだろう。
「その花。父さんに持って行ったら?」
 死後は父と知己の有名大学の教授が執刀し、検体解剖が行われる手筈になっている。
「でも、父さんは花なんて好きじゃないし。それより、今日は久しぶりに庭でお茶でも飲もうよ。ずっと籠りきりだから気が滅入ってるんじゃない? 変な事を考えるのは、そのせいだと思うよ」
 偽りの素姓のために学校に通うこともなく、滅多に外出することもない。兄にとって今や、ぼくだけが言葉を交わすことのできる他人だった。
「兄さんは、いつも優しいんだな。ぼくとは全然、似ていない」
 兄は、ぼくと同じ顔に人好きのする表情を浮かべていた。
 センセーショナルな幕引きを父は考えていたのだろう。だが、脳溢血の発作で病院のベットから出られぬ体になった。
 言語中枢に致命的なダメージを受けたらしく話すことは不可能である。手の震えもひどく、判別できるような文字は書けなかった。先は長くないというのが主治医の見解である。
 一人で見舞いに出かけたぼくは、父の目の前で論文を一枚ずつシュレッダーにかけた。
 肉親の情を持たない男でも自分のためには泣けるものらしい。父が滂沱の涙を流すのを心行くまで眺めた。
 いい様である。

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